佐伯祐三 自画像としての風景 東京ステーションギャラリーに行ってみて

東京ステーションギャラリーはちょくちょく若干マニアックな展覧会をやってくれます。

1月21日から佐伯祐三の大回顧展を開催しており、行ってきました。

私は美術好きで、絵画はフランスの洋モノ(印象派あたり。モネとかドガなど)が好きなんですが、佐伯祐三の絵は何かの展覧会でカフェの絵をたまたま目にして、(カフェの絵一枚だけなのに)なぜか心に残っていました。

それで東京ステーションギャラリーで回顧展が開催されるということで、行ってみたのですが、充実の展示でした。

作品数143点(これ以外に何点か直筆の手紙、ハガキ類もあり)。主に大阪中之島美術館の所蔵でしたが、それ以外にも多数の美術館、個人から借りてきたようで、裏方スタッフの方々の努力にまず頭が下がりました(TT)

佐伯祐三の画風も印象に残るものですが、同時に何となく見た瞬間から記憶に残ってしまったのは彼の顔写真です。ちょっと彫り深でキリっとした顔でフサフサの髪の毛。つまり、現代風のイケメンだったんです(笑)でもそれ以上に目の光の強さが彼の才能、意思の強さを物語っていると思います。(大正時代に、絵の勉強をするために、船で何か月もかけてパリに留学したのも納得の目つき)

佐伯祐三は大正時代の画家で30歳の若さで亡くなってしまったので、もちろん会ったこともないですし、彼についての伝記なども読んだことはありません。

しかし展覧会で絵を見て、どんな男だったか分かるような気がしました。

結婚して女の子が1人いたそうですが、おそらく浮気は絶対しない男だったでしょう。そして、普通に一般社会で生活はしていけたでしょうが、なんとなく、ちょっっっと変わったところが滲み出て、それは周囲の人に感じ取られるけれど、真面目なので好かれていたのではないでしょうか。

私この展覧会で展示されていた「にんじん」の絵を見てそう思いました。

ただの一本の人参がテーブルの上に置かれた光景を描いた絵ですが、にんじんを描くのに使った色彩が他の画家にないものです。

黒い背景ににんじんが一本だけ、横にまっすぐ置かれているのですが、暗いオレンジのにんじん本体にくっつけて、葉っぱ部分の根元に白を使っているんです!!そして、葉っぱ部分は暗めなグリーンというか佐伯祐三色のカーキ色。

使う色にどういう人間かが出てしまうんです。

葉っぱに白を使う発想は佐伯しかいないでしょう。葉っぱが白いにんじんはこの世にありませんから、おそらく佐伯は私たちが現在もよく見る普通のあのにんじんを見て描いたに違いありません。

でも彼には白が見えたからそう描いたんです。その白が、にんじんの暗いオレンジと葉っぱのカーキ色と微妙にマッチして、カ、カッコイイ…!( ゚Д゚)その色合わせの発想から、ちょっと変わった人だったんだろうなあ。世の中のほぼ100%の人はにんじんを描いてくださいと言われて描くときに葉っぱに白は使わないだろうしなー。でも浮ついたところのない善良な人で、あまり饒舌ではないけれど、時々突拍子もないことを言ったりやったりするところが愛される、素朴な優しさを持った青年だったのではないかと思いました。

他にもパリの街並み、特に「壁」を描いた作品が多かったですが、これもいたく感動しました。何がって、「壁」を表現するときの色の削り具合。私はアンティークの家具が好きなのですが、アンティークって長い時間の経過を経なければ出てこないツヤと何とも言えない削れ感がありますよね。それが佐伯祐三の「壁」の塗り方にはあるんです。

1925年の作品「壁」と酒場(オ・カーブ・ブルー)に、それが顕著です。

この削れ感を出すためには相当苦労したでしょう。ユトリロを少し感じますが、ユトリロではない佐伯独自の削れ感です。

その佐伯独自の色を出すためには、何度も何度も自分はどうしたいのか、自分は何を表現したいのか、自分って何をするために生れてきたのか、きっと自分と格闘し続けたはずです。

それは今の私自身にも通じるところがあり、共感につながりました。

 

95年も前に亡くなった画家ですが、東京ステーションギャラリーで会って話して、なんか私の気持ちを分かってくれるいい人だなー好きだなーと思って友達になったような展覧会でした。

 

佐伯祐三、ちょっと知ってるけどそれほど興味ない、でも今自分がどうしたいか分からない、もしくはやりたいことが分かっているけど一歩踏み出せなくて悩んでるような方は行ってみると元気がもらえるかもしれません。